いざ、金丸の里へ

内間人

2006年08月01日 22:14

はいさい!

行ってまいりました。琉球王朝第2尚氏 初代王 尚円王の里、伊是名島へ。
というと、なんだかそれが目的で行ってきたように聞こえるのだが。

実は、私のルーツがここ、伊是名で、旧暦の七夕ということで墓掃除がメイン。

それでも、小学生のころに行ったきりだった(今回約20年ぶり)ので、妙にわくわくしていましたよ。


朝、7時半頃に起き、8時頃に親戚のおじぃさん(と言っても70歳をとうに越えているおじいちゃん)と待ち合わせ。

いざ、運天港(今帰仁にある港)へ。 出港時間を知らなかった私は、とりあえず高速でとばしていきました。その時の、車内での会話。

私 「じーさん、船は何時に出発するの?」

じーさん 「今日も、あついねー。 明日の墓掃除は大変そうだねぇ。」

私 「!? あぁ、そうですね。明日は、早起きして涼しい内に終わらせましょう。」
「それで、船は何時に・・・。」

じーさん 「・・・・・・。」

はっ!? そういえば、じーさんは相当 耳が遠いんだった・・・。 まぁ、いいか。とりあえず飛ばすぞ。
と、どうにか9時40分ごろに運天港に着いてチケット売り場へ。 船は10:30出港と書いてある。


あぁ、よかった間に合った。

と、とりあえず船に乗り伊是名島へ。


島に着くと、お中元をもって親戚まわり。
しかーし、伊是名の方言をほとんど分からない俺。 親戚も島の人々も、私がじーさんと居ると全てが方言。
ほとんど、にっこり笑って座っているだけで精一杯。

本土の人が、中国語のようだと言うのにもうなずける。

しかし、なぜかじーさん、耳が遠いはずなのに会話が成り立っていたような気が・・・。


そういえば、必ず親戚から聞かれる一言があったそれは、

シマンチュ 「うれー、まーぬ、たーやが? (この人はどこの誰ね?)」

私 「かおる が 次男です(かおる(親父の名前)の次男です)。」

そして、もう一つだいたい言われるのはこれ

シマンチュ 「高校生ね?」

私 「いっ、いや、もう今年28歳です・・・。

まぁ、どうにか親戚周りを終わらせ、今日宿泊させてもらう親戚の家に。


翌朝、6時半頃に起きて洗面、食事を済ませ8時には墓掃除へ。

思ったよりも、まとまった雨が降っていなかったせいもあり、草は伸びてはいなかったが、
早い時間に来たのにも関らず、日差しが強い。 恐るべし、沖縄の日差し。

9時ごろには他の親戚たちも来て、約1時間で墓掃除も完了。

お供え物をして、線香を灯して、ウートートー。 また今度、来ます。

その後、昨日できなかった残りの親戚周り。
じーさんだけが、回るところもあったので待ってる間に近くの公園へ。

そこで見たのが、これ。


クラーク博士!?

ではなく、後の尚円王。 金丸の像。 指差す方は、大宜味村らしいです。

しかし、この像の製作者や、像の下に書かれていた考察した人の名前があったがどちらも伊是名出身の著名人。

製作者 : 名嘉 睦念 考察 : 高良 倉吉


すごい島だ。 そういえば、県内企業大手にも島出身の人が作った会社は多い。

そうこうしてる内に、船の時間。

泊めてくれた親戚にもお礼を言って、船に乗り、帰沖。

まぁ、観光らしいことは、ほとんどできなかったけれど、いい経験になった。

また、機会があれば今度は観光もしたいなぁ。
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